樋田 顕
PROFILE
2014年にNagisaに入社。 マンガ事業の立ち上げを経て事業部の責任者を務める。
「昇格と苦難」最年少執行役員までの道のり
キャリアの転機はある1冊の書籍との出会い
今こうしてインターネットのベンチャー企業で働くようになったのは学生時代の経験があります。長野県出身の僕は、将来がっぽがっぽお金を稼いで、絶対に金持ちになてやろう。そのために金融系の会社に就職をして成り上がるぞ!ということを考え長野から上京をしてきました。自分でいうのもなんですが、意識高い系男子大学生だったと思います。(笑)
そのために学生の頃からファイナンシャルプランナーや証券アナリストの資格を取って、将来の就職のために学業に加えて、勉強もしていました。ところが、いざ金融系の方たちにOB訪問に行ってみると、自分が思い描いていた世界とは違うことに気がついたんです。その頃は本当に漠然としていたのですが、もっと仕事に対してがむしゃらで、熱量をもって取り組む何かを求めていたんだと思います。
そんな時にある1冊の書籍に出会いました。
『渋谷で働く社長の告白』
インターネット?ベンチャー?と懐疑的に思っていたのですが、この本を読むことでインターネットやベンチャーの可能性に少しづつ魅せられていきました。さらに、インターネット関連で働いている方とお会いするたびに強い熱量と強固なビジョンに触れ、インターネット×何かの未来の可能性を感じるとともに、一気に惹かれていったことを今でも覚えています。
その後、大学3年生の時に、インターネット企業でエンジニアで働くんだ!と思い立ち、インターンの募集サイトを通じてセプテーニのインターンに応募をしました。今考えれば当然なんですが、エンジニアでのインターンはあっさり断られました。(笑)そのかわり、当時2人で立ち上げたばかりのセプテーニホールディングスの子会社でスマートフォンの広告営業をするインターンを経験することになります。
当時、スマートフォンアプリが続々と登場し、それと同時にスマートフォンアプリ向けの新たなプロモーション、マネタイズメニューが開発されているタイミングでした。売れそうな商材を嗅ぎつけては、本当に顧客のニーズを捉えているかを見極め、提案をする。そんな経験を積む中で、顧客から多くの発注をもらうことで多くの実績を残すことができ、私にとって大きな経験だったと今も感じています。
挫折から這い上がり、成功を掴んだ新卒時代
内定をもらったいいくつかの会社の中から、インターン時代に経験した広告営業の経験を生かして、ユナイテッド株式会社(当時は株式会社スパイア)に新卒で入社することになりました。引き続き内定者インターンとして広告営業という職種で学生ながら、単月最大1000万円ほどの売上を作ることに成功をします。いま振り返れば、自分ではできるんだって勘違いをして、少し天狗になっていたと思います。
内定を受けてからも広告営業という職種を選んだのは、この頃、将来起業することを志しており、まずは自分が作ったものやサービスを売ることから全ては始まると考えて営業を極めたいと考えたからです。
しかしながら、現実はそんな簡単ではありませんでした。
新卒として入社してからは、これまでの広告メニューを販売する部署ではなく、新規で立ち上がったアドテクノロジーの部署に配属になりました。具体的にはDSPやDMPを駆使して、運用商品として提案をしていく営業で、アメリカでアドテクノロジーが進化し、インターネット広告がどんどん自動化/最適化していく流れがちょうど日本にも上陸しつつあるタイミングだったので、それらを国内に広めていくという新しいミッションにワクワクしていました。が、成果が全くでない。この時期は社会人のなかでも、頑張っても頑張っても成果が出ない苦しい時期でした。
そんな時に、そんな自分を見かねた当時の上長から、それまで主軸だった既存顧客への運用型商品の提案に加え、新規顧客の開拓という新しいミッションとチャンスをいただき、またそこで新たなリスタートを切りました。またそこからがむしゃらに働き、クォーターに100件の以上のアポイント、そして、クオーターで25社以上の契約を獲得。そこから定常的に同水準の実績を積み重ね、結果として全社MVPをとることで新たな成果を残すことができました。
新卒時代は成功も失敗も経験しましたがあのとき踏ん張ってがむしゃらに働いていた時間や学んだこと感じた経験は、今でも自分にとって大事な財産になっています。
新たな可能性を見出し、営業からプロデューサーへの転身
インターンからずっと営業を経験していくなかで、今後10年、20年とこの仕事をずっとやっていくのかと思うようになるタイミングがありました。そんな時に、提案させて頂いていた企業のメディア側の方々と出会い、1つ1つのサービスにかける情熱や熱量に触れ、自分もサービスをつくる側に回りたいと思うようになってきました。
自分が企画、立ち上げたサービスにユーザーを集めて、個人の力だけではなく、インターネットによって大きく変えられる仕事。
レバレッジが効いて、世の中に人たちに影響を与えたいと思うようになり転職を決断しました。
会社選びとして、ワンサービスにとどまらず、いくつものサービスを立ち上げている会社に興味を持っており、
さらにそれをベンチャーでやっているということでNagisaに興味をもって入社しました。
そう思ったのも、まず自分が何か特定の事業に執着しているというわけではなく、多方面に好奇心があったからです。また、実際に関わるクライアントさんの中でも、複数の事業やサービスを展開している企業のほうが働いている方々も多様で、なおかつ様々なチャンスに張れるおもしろさを感じていました。
最年少執行役員への昇格と苦難
Nagisaに入ってからは、いくつものプロダクトを担当するチャンスがあり、ゲーム、メディアのサービスをリリースしてから、マンガ事業の担当になりました。
立ち上げたのが3年前なんですが、無料でマンガが読めるプロダクトは少なく、ユーザーセグメント毎に3つの漫画のプロダクトをリリースすることでユーザー数も売上も急成長させることができました。その後、サービスの立ち上げだけではなく、グロースハックにリソースを投下してさらなる拡大に成功し、多くのメンバーに助けてもらいながらいくつもの成果を積み重ねることができたと思います。
いちプロデューサーだった私が、事業リーダーとしてコンテンツの仕入れを取次様、出版社様を巻き込んで事業の拡大を図っていけたことに加え、マーケティング、マネタイズまで幅広く事業に関われたことは非常に貴重な経験でした。Nagisaには多くのチャンスがあり、裁量も大きく、この3年間で自分自身も成長できたと実感しています。
こうしたいくつかの成功を通じて、執行役員に就任することができ、戦略を実践する立場ではなく、戦略を見出し、未来を作る仕事に変わってきたわけですが、大事にしていたことが2つありました。
一つ目は非常にフラットな組織であるNagisaのなかで、自分がリーダーとしてどれだけ事業の原動力になれるかでした。
リーダーとして成果を残しながら、新しい仲間を迎え入れ、組織を作っていくことは非常に難しいです。一人一人に対して、事業結果を出すための意味づけがリーダーとしてできているかどうか?目標設定と裁量を与え、信頼関係を気づいていくためのコミュニケーションラインを整えることを徹底的にやっていきました。
二つ目は、常にユーザー目線でものづくりをしていく姿勢をもてるかということです。 Nagisaにはユーザー視点を非常に大切にするものづくり文化があります。同じ業界の競合だけではなく、様々なプロダクトを触り、インプットしながら、どうやって他社と差別化を図りながらユーザーにとって新しい体験を届けられるか。どこまでいってもユーザーの立場でものごとを考えてサービスを実現していくこと。そこに成功の秘訣があったのではないかと思います。
一緒に働きたいと思う人物像について教えてください。
Nagisaには好奇心が強く、自らアイディアをだして動ける人が集まっています。そんな中でも、大小関わらず野心があり、目的意識が強い人がいいですね。あとは、失敗から多くを学ぶ素直な姿勢があり、自分で考えて、自分で動けるひと。そんな人と一緒にに働くことができたら、ゴリゴリと切磋琢磨しながら新たなNagisaの未来を築いていけるんではないかと思います。